そもそも「ココロ」というものが存在しないと仮定すると、
面白い発想がでてきます。
例えば、高いところにのぼって、「怖い」と感じるのは身体だそうです。
「怖い」と感じたときに、交感神経が活性化して、身体を緊張させます。
そして、その「怖い」と感じたことが、解消されない場合、
緊張とともに身体に残るんじゃないかと思うんです。
実際にセッションをしていても、何年も、何十年も持ち続けているような
身体の緊張が緩んでくると、感情のようなものが
でてくることがあります。
そして、もちろん逆もあります。
感情をださないために、緩むことに抵抗する身体もあります。
緩むためにセッションに来ているのに、身体は抵抗しているのです。
もちろん、セッションでは身体を尊重して、無理に緩めたりはしません。
身体にも緩めるタイミングがあります。
また、違う例を出すと、
こういうことを書くと変な人だと思われそうですが……(笑)
人の身体に触れていると、身体の声が聞こえることがあります。
ある人の胃さんは「もっといいものを食べたい」と訴えてきたり、
また、別のある人の手術した身体の部分さんは、
「何するんじゃコラッ!」と怒りを訴えていたりします。
手術などで身体にメスが入ったところは、
怖がっていたり、怒っていたりすることがよくあります。
やむなく必要だった手術だとは思いますが、
身体にとっては、「介入された」感が残っているんだろうなと思います。
そして、もうひとつ別の例を出すと、
私たちの思考は、すぐに身体を観念で縛ってしまいます。
考え込む癖が強いほど、奴隷のように観念に縛られ、
身体は自由に動くことはできません。
そういった方によくあるのが、セッションで身体の声を聞きながら、
身体が自由に動きをサポートしていくと、
ご本人には理由がわからない「嬉しい」という感情が出てきたり、
涙したりされます。
これはまるで身体に感情があるかのように感じてしまいます。
そして、私たちと外界との繋がりは、五感を使って、
身体を使って行っていることを考えると、
もしかすると、「楽しい」とか、「辛い」とか、
「かわいい」とか、「好き」とか、「嫌い」とか、
あらゆる感情は身体から起こると考えることも
できるんじゃないでしょうか?
身体から起こった感情が意識と繋がって、
「楽しい」と認識したり、「これは楽しいものだ」と
思考で評価したりしているんだとしたら、
ココロはどこにあるんでしょうか?
ここに書いたのは、偏った見方なので、
うのみにしないでくださいね(笑)
昔から言葉の中に「心」という文字がつく言葉が
たくさんあるように、日本人が感じていた心という概念は
私もあると思っています。
でも、もしココロに悩みを抱えていて、
心理療法を試されるのであれば、
その前に、セッションで身体にアプローチして身体を緩める方が、
早く良くなると感じていますし、
ある統合医療の心療内科医の先生も以前、同じことを話していましたね。
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