本などで知識として得た情報は、情報でしかない。
その情報を持っているからといって、
真実を体感しているわけではない。
例えば、米の作り方を知っていても、
実際に作ったことがなければ、
その人にとって、米の作り方は単なる情報であり、
現実化した真実ではないように感じます。
作り方を知っているのと、実際に作ったことがあるは大きく違う。
それにも関わらず、
情報を真実のように取り違えて、
わかったつもりで行動に移さないことが多かったりします。
野生動物や赤ちゃんが教科書で歩き方を学習しません。
いろいろチャレンジして、何度も転けながら、
体感してそこから学び、走り方を覚えていきます。
体感して、そこから学ぶ。
それがその人にとって真実なのかもしれない。
自信がないとか、不安とか、なかなか動けないのは、
そのための真実が足りないだけなのかもしれない。
真実を増やしたい方は、まず情報絶ちをやってみて。
そして、動きたい気持ちがでてきたら、
興味のある人に会いにいったり、何かを体験してみたり、
自然のなかで過ごす時間を増やしてみて。
考えることも必要かもしれないけど、
考える前に気持ちで行動するチャレンジは、
あなたの世界を変えるかもしれない。
ひとつ行動すれば、あなたの中にひとつの体験が生まれます。
あなたにとっての真実が必ずひとつ増えていくから。
その積み重ねがあなたを強くしなやかにしていくように思います。
私にもまだまだ体験が必要。
そこから学びどんどん成長していきたいと思います。
みなさん、一緒にチャレンジしましょ^ ^
補足として、
もうひとつ大切なことは、
体感は人それぞれ違うということ。
素晴らしい日の出を誰かと一緒に見てもお互い感じ方は違います。
「美しい」と言葉で共感したとしても、
それぞれの中にある「美しい」を体感しています。
ということは、真実は一つではなく多様性があるということ。
人が体感から得た真実の話を聞くのはいいけれど、
自分の真実と比べてジャッジはできない。
自分の真実は、真実でいい。
誰かの真実は、誰かの真実であって、自分の真実ではない。
2013年7月31日水曜日
2013年7月17日水曜日
感情はいきもの
楽しい、嬉しい、怒り、悲しみなど、いろんな感情がありますが、
何かの感情が起こったときに、そのままストレートに表現できる環境は
意外と少ないものです。
大体は感情を抑えこんだり、感情を飲み込んだりすることが多いのです。
いかにも感情をコントロールして
そのときの状況、そのときの人間関係を円滑に、
見かけだけはやりすごせるかもしれませんが、
その抑え込まれた感情や飲み込んだ感情は
どこへ行くのでしょうか?
感情はまるで呼吸をしているかのように、
収縮したり、拡張したりして拍動しています。
感情が起こったときに、その場で表現できたときは、
拍動している感情が拡張して思う存分広がることができます。
そのとき、感情は思いを果たすことができ、昇華されていきます。
逆に、起こった感情がその場で表現されず、
抑え込まれたり、飲み込まれたりすると、
拍動している感情は広がりたいのに、
広がることができず、思いを果たすことができません。
そのとき、感情はカラダのなかに留まり、
拍動しながら思いを果たすときを待っています。
しかし、ある感情を表現できない環境に身をおいていると、
その感情が起こるたびに、抑え込んだり、飲み込んだりする
パターンが生まれてしまいます。
その状況が続くと、カラダのなかに留まっている感情たちが、
カラダを攻撃し出し、症状が起こります。
感情はいきもの、コントロールはできません。
人のカラダに触れるボディワーカーはよく体験するのですが、
クライアントさんのカラダ(筋肉)に触れると、
クライアントさんのなかに感情があふれ出してくることがあります。
例えば、小胸筋は悲しみの感情が出てくることが多いです
(あくまで私の体験です)
カラダのなかに感情は留まります。
その感情に気づいたら、表現することです。
ここで注意して欲しいのは、
「感情を表現すること」と「感情を人にぶつけること」は違います。
感情を出すと、「嫌われるかも?」とか、「誰かを傷つけるかも?」とか、
「どうせわかってもらえない」と思われる方は、
感情を人に伝えたり、ぶつけたり、
わからせようとしているかもしれません。
そんな必要はありません。
ただ、感情をカラダのなかから出すのです。
部屋でひとりでできます。
そのとき、感情にカラダをつけるのがポイントです。
詳しくは以前ココカラに掲載した
「感情を身体で表現してみよう」をご覧ください。
何かの感情が起こったときに、そのままストレートに表現できる環境は
意外と少ないものです。
大体は感情を抑えこんだり、感情を飲み込んだりすることが多いのです。
いかにも感情をコントロールして
そのときの状況、そのときの人間関係を円滑に、
見かけだけはやりすごせるかもしれませんが、
その抑え込まれた感情や飲み込んだ感情は
どこへ行くのでしょうか?
感情はまるで呼吸をしているかのように、
収縮したり、拡張したりして拍動しています。
感情が起こったときに、その場で表現できたときは、
拍動している感情が拡張して思う存分広がることができます。
そのとき、感情は思いを果たすことができ、昇華されていきます。
逆に、起こった感情がその場で表現されず、
抑え込まれたり、飲み込まれたりすると、
拍動している感情は広がりたいのに、
広がることができず、思いを果たすことができません。
そのとき、感情はカラダのなかに留まり、
拍動しながら思いを果たすときを待っています。
しかし、ある感情を表現できない環境に身をおいていると、
その感情が起こるたびに、抑え込んだり、飲み込んだりする
パターンが生まれてしまいます。
その状況が続くと、カラダのなかに留まっている感情たちが、
カラダを攻撃し出し、症状が起こります。
感情はいきもの、コントロールはできません。
人のカラダに触れるボディワーカーはよく体験するのですが、
クライアントさんのカラダ(筋肉)に触れると、
クライアントさんのなかに感情があふれ出してくることがあります。
例えば、小胸筋は悲しみの感情が出てくることが多いです
(あくまで私の体験です)
カラダのなかに感情は留まります。
その感情に気づいたら、表現することです。
ここで注意して欲しいのは、
「感情を表現すること」と「感情を人にぶつけること」は違います。
感情を出すと、「嫌われるかも?」とか、「誰かを傷つけるかも?」とか、
「どうせわかってもらえない」と思われる方は、
感情を人に伝えたり、ぶつけたり、
わからせようとしているかもしれません。
そんな必要はありません。
ただ、感情をカラダのなかから出すのです。
部屋でひとりでできます。
そのとき、感情にカラダをつけるのがポイントです。
詳しくは以前ココカラに掲載した
「感情を身体で表現してみよう」をご覧ください。
2013年7月13日土曜日
ほんの少しの変化がパターンを変えていく
何か変えたい現実があるけれど、
変えられない、変わらないという方がいらっしゃいます。
お話をお伺いしていると、
何かを一気に変えられるんじゃないのか?
と思われているように感じます。
私は何百人の人が、一気にシフトチェンジするのを
目の当たりにしてきました。
そこで感じるのは「気づきのタイミング」と
「きっかけ」が必要かもしれないということです。
ポラリティのセッションがきっかけになることはよくありますが、
その気づきのタイミングがくるためには、
気づきのための体験を積み重ねていくことが
必要になってくるように感じます。
ほんの少しの水の揺らぎが、後々大きな波を作るように、
ほんの少しの変化が変えたい現実のパターンを変えて行きます。
変化への「大きな一歩」を踏み出そうとして動けなくなるより、
無理なくできることから、ほんの少しの変化を楽しんでみてください。
ほんの小さな一歩を踏み出してみると、世界が変わり始めます。
その小さな変化の体験の積み重ねが、
何かを「きっかけ」にして、
いずれ大きなシフトチェンジを起こすでしょう。
その日を楽しみに、毎日の変化を楽しんでください^ ^
変えられない、変わらないという方がいらっしゃいます。
お話をお伺いしていると、
何かを一気に変えられるんじゃないのか?
と思われているように感じます。
私は何百人の人が、一気にシフトチェンジするのを
目の当たりにしてきました。
そこで感じるのは「気づきのタイミング」と
「きっかけ」が必要かもしれないということです。
ポラリティのセッションがきっかけになることはよくありますが、
その気づきのタイミングがくるためには、
気づきのための体験を積み重ねていくことが
必要になってくるように感じます。
ほんの少しの水の揺らぎが、後々大きな波を作るように、
ほんの少しの変化が変えたい現実のパターンを変えて行きます。
変化への「大きな一歩」を踏み出そうとして動けなくなるより、
無理なくできることから、ほんの少しの変化を楽しんでみてください。
ほんの小さな一歩を踏み出してみると、世界が変わり始めます。
その小さな変化の体験の積み重ねが、
何かを「きっかけ」にして、
いずれ大きなシフトチェンジを起こすでしょう。
その日を楽しみに、毎日の変化を楽しんでください^ ^
2013年7月11日木曜日
クリニカルな視点
民間療法をされていて、西洋医学を否定している方に
であう機会が少なくなってきました。
それでもまだまだそういう方がいらっしゃいます。
私のセッションを受けに来てくださる方のなかには、
難病の名前をつけられた方が来られます。
今のカラダの状態がその方が生きてきた歴史や思考、
感情のパターンを表しているので、
それさえ見られればセッションをすることができます。
でも、私は難病の方が来られた際は、
まず西洋医学での原因や治療法などを調べるようにしています。
自身の勉強のためもありますが、
西洋医学的なアプローチの中に、
実は大きなヒントがあったりします。
西洋医学的なアプローチを西洋医学の視点だけで見ていると、
ヒントを見つけることは難しいかもしれませんが、
エネルギーワークやエレメントの視点で見ていくと、
難しい問題も紐解けてくることがあります。
西洋医学も民間療法も必要だから存在しているんです。
どちらかがどちらを否定することにエネルギーを使うより、
お互いを知ることにエネルギーを使いたいものです。
私はセッションにもっともっとクリニカルな視点を
取り入れていきたい。
だから、西洋医学のこともできるだけ知りたいし、
私のセッションのことも医療関係者の方に知ってもらえると嬉しい。
医療の選択肢が増えて、
「症状が治って人生がハッピー」なら
西洋医学でも、民間療法でもアプローチなんて何でもいいじゃん、
という時代がもうすぐくるんじゃないのかな、
なんて夢見ています(笑)
<山本医院と連携しているSalon de Fooran>
http://fooran.o0o0.jp/
であう機会が少なくなってきました。
それでもまだまだそういう方がいらっしゃいます。
私のセッションを受けに来てくださる方のなかには、
難病の名前をつけられた方が来られます。
今のカラダの状態がその方が生きてきた歴史や思考、
感情のパターンを表しているので、
それさえ見られればセッションをすることができます。
でも、私は難病の方が来られた際は、
まず西洋医学での原因や治療法などを調べるようにしています。
自身の勉強のためもありますが、
西洋医学的なアプローチの中に、
実は大きなヒントがあったりします。
西洋医学的なアプローチを西洋医学の視点だけで見ていると、
ヒントを見つけることは難しいかもしれませんが、
エネルギーワークやエレメントの視点で見ていくと、
難しい問題も紐解けてくることがあります。
西洋医学も民間療法も必要だから存在しているんです。
どちらかがどちらを否定することにエネルギーを使うより、
お互いを知ることにエネルギーを使いたいものです。
私はセッションにもっともっとクリニカルな視点を
取り入れていきたい。
だから、西洋医学のこともできるだけ知りたいし、
私のセッションのことも医療関係者の方に知ってもらえると嬉しい。
医療の選択肢が増えて、
「症状が治って人生がハッピー」なら
西洋医学でも、民間療法でもアプローチなんて何でもいいじゃん、
という時代がもうすぐくるんじゃないのかな、
なんて夢見ています(笑)
今は幸運にも三木にある山本医院連携サロンSalon de Fooranで
月約6日間のセッションする機会をいただいています。
クリニカルな視点を広げる大チャンスです(笑)
どこまでチャレンジできるのかわからないけれど、
これまで通り、求められれば年齢性別関係なく、
丁寧にセッションしていきたいですね。
<山本医院と連携しているSalon de Fooran>
http://fooran.o0o0.jp/
2013年7月10日水曜日
【守破離】の次は【守破離】かな。
ポラリティの基本を徹底的に実践しているうちに、
対応できないクライアントさんが増えてきたことがありました。
そのときから、一旦基本を横において、
今までやってきたことをすべてやめてみて、
自己を信じて感じるままセッションするようにしてみました。
すると、不思議と対応でなかったクライアントさんにも、
対応できるようになってきました。
できることが増えてくると、プラクティショナーとしての強さの
必要性をより感じるようになってきました。
そして、5月から新たなアイディアを元にポラリティの基本に戻って、
セッションで実践し続けていました。
もう一度基本戻ることで、新たな視野が開けて、学ぶこともたくさんあり、
必要性を感じていた強さも得ることができてきました。
そして、この新月くらいから、
また基本を横においてセッションしています。
より自由に感じるまま、
そして、クライアントさんの自然治癒力をより強く信頼して。
ロジックと経験から学びを得ることは大切ですが、
それらにとらわれてはいけない。
ロジックと感覚をうまくバランスすることで、
私は常にロジックを更新していこうとしています。
創始者と私のセッションは違っていいし、創始者と同じことはできない。
私にできることを繊細に研ぎ澄ましていくのみ。
私の場合、【守破離】の次は【守破離】で、
螺旋をのぼっていくように【守破離】の連続なのかもしれない。
対応できないクライアントさんが増えてきたことがありました。
そのときから、一旦基本を横において、
今までやってきたことをすべてやめてみて、
自己を信じて感じるままセッションするようにしてみました。
すると、不思議と対応でなかったクライアントさんにも、
対応できるようになってきました。
できることが増えてくると、プラクティショナーとしての強さの
必要性をより感じるようになってきました。
そして、5月から新たなアイディアを元にポラリティの基本に戻って、
セッションで実践し続けていました。
もう一度基本戻ることで、新たな視野が開けて、学ぶこともたくさんあり、
必要性を感じていた強さも得ることができてきました。
そして、この新月くらいから、
また基本を横においてセッションしています。
より自由に感じるまま、
そして、クライアントさんの自然治癒力をより強く信頼して。
ロジックと経験から学びを得ることは大切ですが、
それらにとらわれてはいけない。
ロジックと感覚をうまくバランスすることで、
私は常にロジックを更新していこうとしています。
創始者と私のセッションは違っていいし、創始者と同じことはできない。
私にできることを繊細に研ぎ澄ましていくのみ。
私の場合、【守破離】の次は【守破離】で、
螺旋をのぼっていくように【守破離】の連続なのかもしれない。
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