大自然のなかにいると、それをよく感じます。
空も、水も、土も、木も、虫も、すべての生き物も。
そして、無機物も。
目の前に転がっている石も、地球規模、宇宙規模でみれば、
私たちと一緒に常に太陽の周りを高速移動してバランスのなかに存在しています。
そして、カラダに起こっている症状にもそれは当てはまります。
症状が起こることで、ココロとカラダはバランスを取ろうとしています。
ボディワーカーとして必要な感覚は、
目の前にいるクライアントさんは動きのなかで
バランスして存在しているということを知覚することなのかもしれない。
タッチひとつとっても、目の前に起こっている動きに対して、
どうサポートできるのか?を繊細に感じ取っていくことで、
クライアントさんとの向き合い方が変わってくる感じがします。
【写真】京都のセッションスペースにある紫陽花が咲き始めています。
2013年6月30日日曜日
2013年6月29日土曜日
「緊張」と「緩和」
ココロとカラダにもこのバランスが必要。
このバランスの崩れがあらゆる症状を生んでいると
言っても良いくらい大切なことだと、私は感じています。
でも、毎日クライアントさんと向き合っていて感じることは、
「緊張」に「緊張」を重ねたような日々を過ごされている人達がたくさんいらっしゃること。
夜寝ている時でさえ緊張しっぱなしの状態が続いていたりします。
そういう人に限って、「緊張」することを大切にしていたりします。
お話を伺っていても一向に「緩和」がみえてきません。
私もポラリティを始める前は「緊張」ばかりで、
「緩和」なんて発想はありませんでした。
「緊張」と「緩和」のバランスが大事なんて
客観的に見ていくこと自体、
まだまだ一般的ではないのかもしれません。
心臓やお腹が収縮したり、拡張したり、
その拍動している様子をみていると、
生命を心地よく感じることがあります。
拍動は生きることであり、バランスなんです。
だから「緊張」することが悪い訳ではなく、
ある程度の「緊張」は必要です。
「緊張」することばかり続けていることで、
バランスが偏っている状態が良くないだけなんです。
バランスはシーソーのように
意識したり、重心を変えたりすることで戻すことができます。
「緊張」を載せているシーソーのもう一方に
「緩和」を載せてみましょう。
でもその前に、「緩和」について知らなきゃいけない。
「緊張」したことしかない方には、わかりにくい発想かもしれません。
そもそも「緩和」って何でしょう?
「ゆるめること」って答えが出てくるかもしれませんが、
それだけじゃ足りないと感じています。
緩和の「和」は【バランスすること、統合すること、一つになること】です。
緩むことでバランス(統合、一つになる)されることが
「緩和」だと思っています。
多くの場合、緊張は外から起こって内側に広がってきます。
(食べ物の場合は、直接カラダの内側に緊張を与えますが)
適度の緊張はココロとカラダに刺激を与えますが、
過緊張の状態が続くことで、
ココロとカラダの繋がりが悪くなってバラバラになってきます。
緩和は外から起こるというより、
内側から起こって外へ広がって行き、
次第に統合に向かうように感じています。
「緊張」と「緩和」はそれぞれ逆のプロセスです。
また、「ストレッチしています!」と
伝えてくださる方がよくいますが、
ストレッチは部分的に伸ばすという刺激であって、
やり方によっては緊張を生みます。
全体が統合されていく「緩和」とは違うような気がしています。
「緩和」するには、どうしたら良いのか?
これはシンプル過ぎて体感したことがないと、言葉で伝えるのは難しい。
「刺激」を与えるのではなく、興味を持って一緒にいる。
ただ、それだけ(笑)
もし何か症状を持っているのなら、
興味を持ってその症状と一緒にいてみると、
自然と「緩和」が内側から起こってきます。
「緊張」に「緊張」を重ねていると、
体感覚をマヒさせてしまっている場合が多いので、
最初は一人で「緩和」を体感することは難しいかもしれません。
一度体感すると、「あぁ、こういうことか」と解るようになってきます。
私のセッションでは、「緊張」と「緩和」のバランスを取り戻す
お手伝いをさせていただいています。
セッション後にクライアントさんの慢性的な症状が緩和していくのも、
キラキラ輝いていく方が増えていくのも、このバランスを取り戻す
「きっかけ」を手に入れられたからなのかもしれません。
京都、大阪、三木でセッションしています。
セッションに興味のある方は、ご連絡ください。
<詳しくはこちら>
http://polaritytherapy.jimdo.com/
このバランスの崩れがあらゆる症状を生んでいると
言っても良いくらい大切なことだと、私は感じています。
でも、毎日クライアントさんと向き合っていて感じることは、
「緊張」に「緊張」を重ねたような日々を過ごされている人達がたくさんいらっしゃること。
夜寝ている時でさえ緊張しっぱなしの状態が続いていたりします。
そういう人に限って、「緊張」することを大切にしていたりします。
お話を伺っていても一向に「緩和」がみえてきません。
私もポラリティを始める前は「緊張」ばかりで、
「緩和」なんて発想はありませんでした。
「緊張」と「緩和」のバランスが大事なんて
客観的に見ていくこと自体、
まだまだ一般的ではないのかもしれません。
心臓やお腹が収縮したり、拡張したり、
その拍動している様子をみていると、
生命を心地よく感じることがあります。
拍動は生きることであり、バランスなんです。
だから「緊張」することが悪い訳ではなく、
ある程度の「緊張」は必要です。
「緊張」することばかり続けていることで、
バランスが偏っている状態が良くないだけなんです。
バランスはシーソーのように
意識したり、重心を変えたりすることで戻すことができます。
「緊張」を載せているシーソーのもう一方に
「緩和」を載せてみましょう。
でもその前に、「緩和」について知らなきゃいけない。
「緊張」したことしかない方には、わかりにくい発想かもしれません。
そもそも「緩和」って何でしょう?
「ゆるめること」って答えが出てくるかもしれませんが、
それだけじゃ足りないと感じています。
緩和の「和」は【バランスすること、統合すること、一つになること】です。
緩むことでバランス(統合、一つになる)されることが
「緩和」だと思っています。
多くの場合、緊張は外から起こって内側に広がってきます。
(食べ物の場合は、直接カラダの内側に緊張を与えますが)
適度の緊張はココロとカラダに刺激を与えますが、
過緊張の状態が続くことで、
ココロとカラダの繋がりが悪くなってバラバラになってきます。
緩和は外から起こるというより、
内側から起こって外へ広がって行き、
次第に統合に向かうように感じています。
「緊張」と「緩和」はそれぞれ逆のプロセスです。
また、「ストレッチしています!」と
伝えてくださる方がよくいますが、
ストレッチは部分的に伸ばすという刺激であって、
やり方によっては緊張を生みます。
全体が統合されていく「緩和」とは違うような気がしています。
「緩和」するには、どうしたら良いのか?
これはシンプル過ぎて体感したことがないと、言葉で伝えるのは難しい。
「刺激」を与えるのではなく、興味を持って一緒にいる。
ただ、それだけ(笑)
もし何か症状を持っているのなら、
興味を持ってその症状と一緒にいてみると、
自然と「緩和」が内側から起こってきます。
「緊張」に「緊張」を重ねていると、
体感覚をマヒさせてしまっている場合が多いので、
最初は一人で「緩和」を体感することは難しいかもしれません。
一度体感すると、「あぁ、こういうことか」と解るようになってきます。
私のセッションでは、「緊張」と「緩和」のバランスを取り戻す
お手伝いをさせていただいています。
セッション後にクライアントさんの慢性的な症状が緩和していくのも、
キラキラ輝いていく方が増えていくのも、このバランスを取り戻す
「きっかけ」を手に入れられたからなのかもしれません。
京都、大阪、三木でセッションしています。
セッションに興味のある方は、ご連絡ください。
<詳しくはこちら>
http://polaritytherapy.jimdo.com/
2013年6月22日土曜日
微粒子の正体
セッション中に、クライアントさんのカラダから
白い微粒子が煙のように出てくるのを見ることがよくあります。
それは部分的に出てくることもあったり、全身からでてたりします。
大体、その煙のようなモノがでると、クライアントさんは
どんどん良い状態になってくることが多いなぁと思ってました。
その正体が何なのか、いずれわかる日がくるだろうと、
詮索したり、調べたりすることもなく、悪い感じもしないので、
セッションするたびに面白いなぁという感覚で眺めていました。
そして、陽極まりて、陰となる夏至の昨日、
神戸岡本にある龍宮道場のとらちゃんとの
交換セッションの中でその正体が明らかになりました。
とらちゃんは経絡リンパ調整法という彼独自の手法で
セッションしていて、今は予約が取れないほどの売れっ子さんです。
とらちゃんはその微粒子やオーラ、
その他いろんなことを感じとれるようで、
その微粒子は細胞の中にまで入り込んでいる
毒素のようなものだと教えてもらいました。
実際にとらちゃんのセッションを受けてみて、
私の感覚ですが、
全身の骨やら筋肉やらオーラやらすべてのパーツを
一つひとつ丁寧に掃除していくように、
微粒子をカラダの外に出して行くような感じでした。
(もちろんそれがセッションの内容のすべてではありませんよ)
全身細かく掃除していくので、
3時間に及ぶセッションなのですが、
全く疲れないし、逆に寝てしまいそうなくらい気持ち良かったです。
めちゃくちゃ癒されました。
翌日の今日もココロもカラダもとてもいい感じです。
好転反応があるかも?と言われましたが、
今のところありません。
今回も気づきもたくさんあったし、自身のセッションにも活かせることが
たくさんあって、今後自分のセッションがめちゃくちゃパワーアップしそうな
予感があります(笑)
他流を知ることで、自分を知ることができる交換セッションは
自分が成長するのにいい刺激になりますね。
(それなりの方とすることが条件ですが……)
龍宮道場の場のクオリティも高いし、
こだわりというか、ポリシーというか、
高い意識を持って向上して行こうとという気持ちが
とても共感できる施術者さんでした。
クライアントさんに対して、繊細に接していける
素晴らしくオススメできる方ですよ。
予約は取りづらいようですが、
興味のある方は受けれみられてはいかがでしょう。
手法は違いますが、ポラリティとも近いものを感じます。
<詳しくはこちら>
http://ameblo.jp/wakuwakuhappylife/
白い微粒子が煙のように出てくるのを見ることがよくあります。
それは部分的に出てくることもあったり、全身からでてたりします。
大体、その煙のようなモノがでると、クライアントさんは
どんどん良い状態になってくることが多いなぁと思ってました。
その正体が何なのか、いずれわかる日がくるだろうと、
詮索したり、調べたりすることもなく、悪い感じもしないので、
セッションするたびに面白いなぁという感覚で眺めていました。
そして、陽極まりて、陰となる夏至の昨日、
神戸岡本にある龍宮道場のとらちゃんとの
交換セッションの中でその正体が明らかになりました。
とらちゃんは経絡リンパ調整法という彼独自の手法で
セッションしていて、今は予約が取れないほどの売れっ子さんです。
とらちゃんはその微粒子やオーラ、
その他いろんなことを感じとれるようで、
その微粒子は細胞の中にまで入り込んでいる
毒素のようなものだと教えてもらいました。
実際にとらちゃんのセッションを受けてみて、
私の感覚ですが、
全身の骨やら筋肉やらオーラやらすべてのパーツを
一つひとつ丁寧に掃除していくように、
微粒子をカラダの外に出して行くような感じでした。
(もちろんそれがセッションの内容のすべてではありませんよ)
全身細かく掃除していくので、
3時間に及ぶセッションなのですが、
全く疲れないし、逆に寝てしまいそうなくらい気持ち良かったです。
めちゃくちゃ癒されました。
翌日の今日もココロもカラダもとてもいい感じです。
好転反応があるかも?と言われましたが、
今のところありません。
今回も気づきもたくさんあったし、自身のセッションにも活かせることが
たくさんあって、今後自分のセッションがめちゃくちゃパワーアップしそうな
予感があります(笑)
他流を知ることで、自分を知ることができる交換セッションは
自分が成長するのにいい刺激になりますね。
(それなりの方とすることが条件ですが……)
龍宮道場の場のクオリティも高いし、
こだわりというか、ポリシーというか、
高い意識を持って向上して行こうとという気持ちが
とても共感できる施術者さんでした。
クライアントさんに対して、繊細に接していける
素晴らしくオススメできる方ですよ。
予約は取りづらいようですが、
興味のある方は受けれみられてはいかがでしょう。
手法は違いますが、ポラリティとも近いものを感じます。
<詳しくはこちら>
http://ameblo.jp/wakuwakuhappylife/
2013年6月4日火曜日
最近、感じること
【手放す】
クライアントさんに、
この言葉を使われる方が増えてきました。
まるで流行語のように頻繁に聞きます。
みなさん揃ってこう言います。
「手放せれば、もっと楽になれるのに!」と。
そして、苦しみの原因を、私に伝えてくれます。
「わかっているけど、手放せないんです!」
「どうやって手放せばいいのかわからない!」と。
「手放す(=いいこと)」に執着しすぎて、
苦しみが生まれているような状態にも見えます。
「手放す」の意味合いには、
執着しない(どっちでもいいや〜)が含まれていると感じています。
執着しないことに、執着している状態ですね。
↑なんだか禅問答みたい(笑)
他にも良くあるのが、
「答えは自分のなかにある!」
「ありのまま〜」
「自分の使命」などです。
プロセスを経て体感したことのある人にとっては、
「そうだよね」という真理だと思いますが、
体感したことのない人にとっては、悩み(苦しみ)のタネです(笑)
数学でもなんでもいいですが、
問題を解く前に、いきなり「答え」を教えられると、
問題を解こうとしません。
なんとなく理解せずに、答えを答案用紙に書いて
1問正解してしまいます。
でも、次の問題はなかなか解けないんですね。
問題を解くプロセスのなかに、
次の問題を解くヒントがあったりします。
ある問題を答えだけ書いて解答してしまうと、
次の問題が難しく感じてしまうようです。
だから、必死に答えを探そうとするか、
答えを教えてくれる人を探そうとします。
自分で「問題を解くプロセス」が重要なのに、
答えを探す旅に出てしまいます。(ドコイクノー)
「答え」を教えられると、
(一つの)「答え」にとらわれてしまいます。
(↑コレにとらわれないように〜!)
だから、執着しないことに執着して、苦しみが生まれ
余計なエネルギーを消費する状況が生まれるのかもしれませんね。
「そもそも無理して手放す必要はありますか?」
「今、必要だから持っているんじゃないですか?」
さて、話を変えて、
ココロとカラダの専門家として、
カラダのお話もしようと思います。
「手放したい!」と悩みを伝えてくださる方に限って、
カラダが閉じている方がほとんどです。
心理的なパターンに気を取られていて、
両手でしっかり握りしめていることに気づいていません。
あらゆる心理療法があるように、
心理的に解放されると、カラダが解放されることもありますが、
逆にカラダが解放されることで、心理的に解放されることもあります。
カラダが開くことで、握りしめていたことや
握りしめていたモノが見えてくることがあります。
心理的に向き合うことができない場合は、
先にカラダを開くことも必要だと思います。
カラダが閉じて、充分なスペースが足りない状態では、
ココロに新しいアイディアを受け入れるスペースが
生まれにくいですからね。
ココロの問題をココロだけで見ていくこと、
カラダの問題をカラダだけで見ていくこと、
どちらも必要ですが十分ではありません。
ココロとカラダを分けることはできませんから。
<ポラリティセラピーの詳細はこちら>
http://polaritytherapy.jimdo.com/
クライアントさんに、
この言葉を使われる方が増えてきました。
まるで流行語のように頻繁に聞きます。
みなさん揃ってこう言います。
「手放せれば、もっと楽になれるのに!」と。
そして、苦しみの原因を、私に伝えてくれます。
「わかっているけど、手放せないんです!」
「どうやって手放せばいいのかわからない!」と。
「手放す(=いいこと)」に執着しすぎて、
苦しみが生まれているような状態にも見えます。
「手放す」の意味合いには、
執着しない(どっちでもいいや〜)が含まれていると感じています。
執着しないことに、執着している状態ですね。
↑なんだか禅問答みたい(笑)
他にも良くあるのが、
「答えは自分のなかにある!」
「ありのまま〜」
「自分の使命」などです。
プロセスを経て体感したことのある人にとっては、
「そうだよね」という真理だと思いますが、
体感したことのない人にとっては、悩み(苦しみ)のタネです(笑)
数学でもなんでもいいですが、
問題を解く前に、いきなり「答え」を教えられると、
問題を解こうとしません。
なんとなく理解せずに、答えを答案用紙に書いて
1問正解してしまいます。
でも、次の問題はなかなか解けないんですね。
問題を解くプロセスのなかに、
次の問題を解くヒントがあったりします。
ある問題を答えだけ書いて解答してしまうと、
次の問題が難しく感じてしまうようです。
だから、必死に答えを探そうとするか、
答えを教えてくれる人を探そうとします。
自分で「問題を解くプロセス」が重要なのに、
答えを探す旅に出てしまいます。(ドコイクノー)
「答え」を教えられると、
(一つの)「答え」にとらわれてしまいます。
(↑コレにとらわれないように〜!)
だから、執着しないことに執着して、苦しみが生まれ
余計なエネルギーを消費する状況が生まれるのかもしれませんね。
「そもそも無理して手放す必要はありますか?」
「今、必要だから持っているんじゃないですか?」
さて、話を変えて、
ココロとカラダの専門家として、
カラダのお話もしようと思います。
「手放したい!」と悩みを伝えてくださる方に限って、
カラダが閉じている方がほとんどです。
心理的なパターンに気を取られていて、
両手でしっかり握りしめていることに気づいていません。
あらゆる心理療法があるように、
心理的に解放されると、カラダが解放されることもありますが、
逆にカラダが解放されることで、心理的に解放されることもあります。
カラダが開くことで、握りしめていたことや
握りしめていたモノが見えてくることがあります。
心理的に向き合うことができない場合は、
先にカラダを開くことも必要だと思います。
カラダが閉じて、充分なスペースが足りない状態では、
ココロに新しいアイディアを受け入れるスペースが
生まれにくいですからね。
ココロの問題をココロだけで見ていくこと、
カラダの問題をカラダだけで見ていくこと、
どちらも必要ですが十分ではありません。
ココロとカラダを分けることはできませんから。
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