ポラリティセラピーを知っている人は
日本にどれくらいいるのでしょうか?
セッションを受けたことがある人は
日本にどれくらいいるのでしょうか?
もし5万人くらい知っているとして、
その10分の1の人が体験したことがあるとすると、
それは5千人くらいです。
そして、ポラリティセラピーの資格を持っている人は、
20人ちょっと。
これを人気がないと見るか、
まだ知らない人が多いなら「チャンス」とみるか、
あなたはどちらですか?
私は後者でした。
ニュアンスとしては、チャンスというより、
人が知らないことを知っているという面白さ、
まるで秘密基地を見つけたようなワクワク感がありました。
自分の「心身の設計図」を手に入れる
私はこのワクワク感に従った結果、人生が大きく変わりました。
自分の「心身の設計図」を手に入れることになるからです。
「心身の設計図」を手に入れることで、
体調を崩す前のほんの少しの違和感から、
それが何の影響から来ているのかわかるようになり、
対処することができるようになりました。
つまり、自分が進みたい道と違う道を選んでしまったとしても、
それに気づくことができ、すぐに引き返すことができるようになりました。
自分の将来に悩むことも、目の前の判断に躊躇することもないわけです。
さらに、心が身体にどのように影響しているのか、
関係性をシンプルに理解することができるようになり、
人とのコミュニケーションがとても楽になりました。
私にとってこれはお金に代えられない価値のあることです。
これまで背負ってきた大きな荷物を下ろすような感覚です。
これで自由に動き回れる、自由に飛びまわれるという気持ちになれます。
道しるべは自分自身になりますから。
ワークショップでお伝えしているのは……
お手当勉強会、ポラリティセラピー勉強会、スキルアップ講習といった
ワークショップを京都と三木で開催しています。
これらのワークショップでお伝えしているのは、
表面的にはテクニックのように見えますが、
実際には「心身の設計図」を手に入れてもらうための練習をしているのです。
それぞれのワークショップの内容の問い合わせが多いのですが、
「心身の設計図」を手に入れるための
お手当勉強会は初級、ポラリティセラピー勉強会は中級、
スキルアップ講習は上級と簡単に理解してもらえると良いかもしれません。
「人を癒す技が身につく」というのは、本当は「心身の設計図」を
手に入れるための手段であり、目的ではないのです。
私にできるかな?難しいかな?と思われるかもしれませんが、
誰でも簡単にできるようになります。教え方がポイントです。
知識を一切使いません。知識の違いによる人との差はありません。
むしろ知識は邪魔になり成長を妨げます。
遊ぶ感覚を通して楽しく身につけていきます。
ポラリティセラピー勉強会でお伝えしているのは、
ポラリティセラピーのテクニックです。
ワークショップの最初に必ずお伝えしていますが、
私はポラリティセラピーを教える資格を持っていません。
市販されているポラリティセラピーの良書を使って、
それに沿ってお伝えしています。
資格がないと教えられないのは、ビジネスの問題、
ポラリティセラピーの質を保つ、守るということなど
理由があると思います。
私もそれはもっともだと思います。
しかし、ポラリティセラピーほど完成度の高いものは、
もはや人類の宝となっても良いと思うのです。
みんなが利用できることで、みんなで良くなる。
もう世の中を本筋に戻すにはこれしかないように思います。
おかしいことをおかしいというには、
おかしいということに気付かなくてはいけません。
そのためには、まず自身の「心身の設計図」を手に入れるのです。
「心身の設計図」を手に入れて、自分の道を切り開きましょう。
そして、もし何かに悩んでいるとしたら、それはチャンスです。
「心身の設計図」を手に入れ、自身で悩みをクリアできるようになれば、
その経験はきっと誰かのチカラになるはずです。
一緒に一歩を踏み出してみませんか?
次回の三木でのポラリティセラピー勉強会はこちら
次回の三木でのスキルアップ講習を受けたい方はこの方に連絡してください
2015年6月26日金曜日
2015年6月24日水曜日
エネルギーを浪費しない生き方を手に入れる
ポラリティセラピーは、何だかスピリチャルっぽいとか、
何だか宗教みたいで怪しいとか、思われている方も
たくさんいると思います。
実際に私がポラリティセラピーを始めた4年前、
「面白いものがあるよ」と軽い気持ちで、
ポラリティセラピーの話をした友人のほとんどが、
今では付き合いがありません。
「怪しい」と思われて距離を置かれたというのが理由だと思います。
でも、そのときの私は「どうしてわかってくれないんだ」なんて思いませんでした。
ちょっとそういう話をしただけで、
それまでの関係が壊れてしまうような関係しか、
築いてこられなかったということに気づけたからです。
この出来事は人生を変えるための最大の「きっかけ」になりました。
これは精神的な強さでも、カラ元気のポジティブ思考でも、
心理的なテクニックでもありません。
なぜ私は「どうしてわかってくれないんだ」と
思わなかったのでしょうか?
自分にとって予想外だった相手の反応を、
どうして自分の問題として、すんなり捉えることができたのでしょうか?
もしも、私が「どうしてわかってくれないんだ」と
相手に詰め寄って感情をぶつけていたとしたら、
とんでもなくエネルギーを浪費していたかもしれません。
しかし、私はそのエネルギーを自分の成長のために
使えるようになっていたのです。
ポラリティセラピーはセラピーとしての完成度は高く、
どんな方が受けに来てくれても対応できます。
でも、欠点が2つあります。
一つ目は「セラピーの効果効能はコレです」と伝えられないことと、
二つ目は金額が高いことです。
「腰痛が治る」「肩こりが治る」「免疫力が回復する」と
言われた方が受けやすいと思います。
でも、腰痛以外にも良くなってくることがよく起こります。
他人のためにエネルギーを使うことより、
自分の成長のためにエネルギーを使えるようになってくるのです。
そして、しばらくすると自分の成長が他人の成長にも
つながってくることがわかるようになってきます。
私はその状態になれるようセッションしているので、
腰痛はあまり問題ではないのです。
自分の成長のためにエネルギーを使えるようになれば、
どんな症状も良くなってくる可能性があることを知っているからです。
二つ目は、90分12000円という金額だけ見ると、
やっぱり高いと思います。
よくある整体と比べると1回の金額が
とんでもなく高く感じるでしょう。
月に何度も整体に通うとしたらいくら必要でしょうか?
一回一回の金額は半分や3分の1かもしれませんが、
3回通うと同じです。
ポラリティセラピーの特徴は、
一回受けた後は数ヶ月間、
または、人によっては人生に一回きりでいいのです。
なぜかというと、自分のためにエネルギーを
使えるようになってくるので、
自分で調子を整えられるようになってくるからです。
また、私はポラリティセラピーをいろんな方に
受けてもらいたいとは思っていません。
受けたいと思った方が受けてくれたら
それでいいと思っています。
無理に通う必要もありませんし、
通おうとしても私はそれを拒否します。
私には人を癒してあげたいという気持ちは
まったくありません。
でも、症状がよくなったと聞けば、
嬉しいし、良かったとも思います。
しかし、それだけです。
この業界では患者を依存させることで
ビジネスが成り立つ仕組みが多いです。
生涯に10万回セッションするとして、
1人10回通わせると1万人に触れることになります。
でも、私は10万人にセッションしたいのです。
そして、10万人が自分の成長ために
エネルギーを使えるようになって、
その周りの人たちも影響されて良くなって行くとしたら、
素晴らしいと思いませんか?
だから、通わなくてもいいと思います。
毎回、一期一会のつもりでセッションしています。
そのために最高のパフォーマンスで取り組めるよう
常に準備をしています。
常に準備をしています。
これはとても大変なことですが、
求めてくれる方々がいらっしゃるのと、
自分の成長のためにそれを続けています。
自分の成長のためにそれを続けています。
でも、そこから自分が成長できなくなると、
すぐにやめると思います。
そこにエネルギーを使うのがもったいないからです。
ここにエネルギーを向けられる間に、
ご縁のある方と出会えることを楽しみにしています。
必要な方に届きますように。
すぐにやめると思います。
そこにエネルギーを使うのがもったいないからです。
ここにエネルギーを向けられる間に、
ご縁のある方と出会えることを楽しみにしています。
必要な方に届きますように。
2015年2月6日金曜日
病理のメカニズム
「コンタクトバウンダリー(接触境界)に支障が起きるために、
自己成長が妨げられ病理が生じる」
と以前読んだゲシュタルト療法の本に書いてありました。
また、病理が生じる人の傾向もあって、
1.うのみ
価値観をまったく無批判に取り入れてしまう。
(自分の価値観ではないため、自分のなかで葛藤が起こる)
2.投影
自分が感じていることを他人に委ねてしまう。
3.反転行為
感情を表現せずに自分のなかに押し込めてしまうと、
その感情のエネルギーが自分を攻撃するエネルギーとなってしまう。
4.無境界
自己と他者に境界線を持たない。
5.話題転換
核心に触れようとしない。
さっき母と電話で話していて、ふと上記のことを思い出しました。
母は「緑内障の手術をする」というので、
私は「視野が欠けてきているの?」と聞くと、
「いや、欠けてない」と答えるので、
私「緑内障なの?」
母「違う」
私「じゃあ、何で手術するの?」
母「眼圧が高くて、緑内障になるかもしれないから」
私「自分で決めたの?」
母「眼圧が高いので緑内障の手術をしましょう!と先生が言ってくれたから」
私「じゃあ、眼圧が高いのが問題で、緑内障は問題ではないのね」
私「緑内障の手術は必要だと思うの?」
母「……」
母「○月○日に手術するから!」
私「……」
私「じゃあ、その前に一回(実家に)帰るわ!」
医師の言うことを何でも聞いてしまう患者(母)と医師との関係のなかに、
上記の病理のメカニズムを感じてしまいました。
どちらが良い悪いの話ではなく、患者と医師のどちらかの
意識が変わるだけで、病気って減るんじゃないんですかね?
母の眼圧が高い理由はなんとなくわかっています。
こちらから何かを伝えることは、きっと無駄に終わるでしょう。
さて、どうしましょうか。
……
とりあえず、土曜日にでもセッションに行こうと思います。
ラベル:
身体への気づき
2015年1月17日土曜日
ご自身でどう感じますか?
私はカラダには、良いところも、悪いところも、歪んでいるところも、
そもそもないと感じています。
ただ、生活環境やその方の思考、生きてきたプロセス、
それに最適なカタチとして、今のカラダのストラクチャーになっているだけなんです。
環境に適応しているだけなのに、良いとか悪いとか、歪んでいるとか、
ジャッジ(評価)されてしまうカラダの気持ちになると、何だか可哀想ですよね。
それなのに、カラダの悪いところ探しに夢中になる人が
とんでもなく多いことにビックリします。
こういう仕事をしていると、一番よく聞かれるのが、
「どこか悪いところはありませんか?」です。
そう聞かれると、私はこう答えます。
「ご自身ではどう感じますか?」
それを聞くと、多くの方がこう答えます。
「○○先生に△△が悪いと言われた」
「針灸師の先生に○○が冷えていると言われた」
「整骨院の先生に○○が歪んでいると言われた」など。
それを聞いて、私はもう一度聞きます。
「ご自身ではどう感じますか?」
その答えはこうです。
「……わかりません」
自身では体感していないのに、誰かに言われたので、
それを鵜呑みにして、まったくその通りだと思い込んでしまっているようです。
患者さんやクライアントさんに、「言葉」を使って何かを伝えるときは、
真実だったとしても、とても気をつけなくてはいけないのですが、
こういった思考の癖(思い込み)を作ってしまいます。
逆に意図的にこういった思考の癖(思い込み)を患者さんやクライアントさんに
植え付けることで、通ってもらおうとするところもあるようです。
そして、会話は続きます。
私:「悪いところを知ってどうするんですか?」
「治したいんです」
私:「ご自身では感じていないのに?」
あらためて書くと奇妙さに気づくかもしれませんが、
こういう会話がよくあります。
頑張り屋さんで責任感の強い人に多いと感じていますが、
ご自身の感覚より、他人の思考や価値観の方が優先順位が高いのだと思います。
自分ではジャッジをせずに、他人にジャッジを任せた方が楽な人もいるでしょう。
でも、ジャッジを任せた他人は、決してあなたの人生を背負えないし、残念ながら責任も取れません。
他人の価値観(ジャッジ)は自分の価値観ではありません。
例え自分のものではないものを飲み込めたとしても、消化は難しいと思います。
もう少しカラダの感覚や自己治癒力を信頼してあげられるといいのになぁと思います。
2015年1月15日木曜日
そもそもココロって存在するの?
そもそも「ココロ」というものが存在しないと仮定すると、
面白い発想がでてきます。
例えば、高いところにのぼって、「怖い」と感じるのは身体だそうです。
「怖い」と感じたときに、交感神経が活性化して、身体を緊張させます。
そして、その「怖い」と感じたことが、解消されない場合、
緊張とともに身体に残るんじゃないかと思うんです。
実際にセッションをしていても、何年も、何十年も持ち続けているような
身体の緊張が緩んでくると、感情のようなものが
でてくることがあります。
そして、もちろん逆もあります。
感情をださないために、緩むことに抵抗する身体もあります。
緩むためにセッションに来ているのに、身体は抵抗しているのです。
もちろん、セッションでは身体を尊重して、無理に緩めたりはしません。
身体にも緩めるタイミングがあります。
また、違う例を出すと、
こういうことを書くと変な人だと思われそうですが……(笑)
人の身体に触れていると、身体の声が聞こえることがあります。
ある人の胃さんは「もっといいものを食べたい」と訴えてきたり、
また、別のある人の手術した身体の部分さんは、
「何するんじゃコラッ!」と怒りを訴えていたりします。
手術などで身体にメスが入ったところは、
怖がっていたり、怒っていたりすることがよくあります。
やむなく必要だった手術だとは思いますが、
身体にとっては、「介入された」感が残っているんだろうなと思います。
そして、もうひとつ別の例を出すと、
私たちの思考は、すぐに身体を観念で縛ってしまいます。
考え込む癖が強いほど、奴隷のように観念に縛られ、
身体は自由に動くことはできません。
そういった方によくあるのが、セッションで身体の声を聞きながら、
身体が自由に動きをサポートしていくと、
ご本人には理由がわからない「嬉しい」という感情が出てきたり、
涙したりされます。
これはまるで身体に感情があるかのように感じてしまいます。
そして、私たちと外界との繋がりは、五感を使って、
身体を使って行っていることを考えると、
もしかすると、「楽しい」とか、「辛い」とか、
「かわいい」とか、「好き」とか、「嫌い」とか、
あらゆる感情は身体から起こると考えることも
できるんじゃないでしょうか?
身体から起こった感情が意識と繋がって、
「楽しい」と認識したり、「これは楽しいものだ」と
思考で評価したりしているんだとしたら、
ココロはどこにあるんでしょうか?
ここに書いたのは、偏った見方なので、
うのみにしないでくださいね(笑)
昔から言葉の中に「心」という文字がつく言葉が
たくさんあるように、日本人が感じていた心という概念は
私もあると思っています。
でも、もしココロに悩みを抱えていて、
心理療法を試されるのであれば、
その前に、セッションで身体にアプローチして身体を緩める方が、
早く良くなると感じていますし、
ある統合医療の心療内科医の先生も以前、同じことを話していましたね。
ラベル:
身体への気づき
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